平成10年、広島県広島市安佐町飯室の野原八幡神社を御祭神として設立しました。
阿須那系八調子を源流とする、梶矢神楽団に指示を受けています。
「神楽とは何か?」を考え、儀式舞、儀礼舞、能舞の流れをふまえ、先人たちの築き上げてた心意気を
学びたいと考えています。
今後とも芸を磨き、観る人の心に残る神楽を舞い、また足を運んで頂けるよう
日々精進していきたいと思います。
筑前小早川家の剣術指南役、岩見重左衛門は、広瀬軍蔵と御前試合をして彼を打ち負かし、
広瀬軍蔵に闇討ちにされてしまいます。
重左衛門の息子『岩見重太郎』は、天下人『豊臣秀吉』より仇討ち状を授かり、敵の姿を求め諸国行脚の
旅に出ます。
旅の途中、周防の国、
防府天満宮で
大願成就の祈願をすると、
大難が3つあると
神の御告げがありました。
第一の難として周防と長門の
国境え、
津浦ヶ峠におもむき
『お芳』という女と
出会います。
その女こそ我が子を殺され仇を討とうとする女狐でした。
苦戦をしいられ弟、重蔵は命を落とします。
そうであっても岩見重太郎は剣術が優れ、見事女狐を討ち取ります。
重蔵を失った悲しみを乗り越え、第二の難、石見の国、狒々退治の物語へと移っていきます。
院の北面の武士坂田時行の妻、八重桐はひたすら内助に励み、一人の子供を授かりました。
しかし坂田時行は病に倒れ帰らぬ人となり、八重桐は一人で我が子を育てようとしましたが、
頼る人もお金もなく、日々の暮らしも貧しくなり、育てることができなくなりました。
仕方なく我が子を誰かに託すことを決めた八重桐は、里親を求めて都へ出ました。
ある館に託して去ろうとしたところ、館の住人と出会い八重桐は逃げ去りました。
その館の住人が源頼光でありました。頼光が逃げ去った後を確認すると赤子と刀が残されていました。
そのときの都は雪が舞う寒い夜で、託された赤子と刀を頼光は置いて去るわけにもいかず、館へ連れ帰り親を探しました。
泣く泣く我が子を託した八重桐は、我が子を育てられなかった罪にさいなまれ鬼女となり上路山にこもって
手下を従え、山賊の頭となって悪事を働きました。
月日が流れ24年たちましたが親は見つからず、赤子は頼光のもとで育てられました。
託された刀の中子を見ると院の北面の武士・坂田時行のものであることがわかりました。
坂田時行の息子であれば武将の道に進むより他なしと判断した頼光は、育てた子の名を、
父の坂田時行の名をとり坂田公時と名付け、四天王の一人として従えました。
東国の凶賊征伐の勅命を受けた頼光は坂田公時を連れて東国に向かいました。
東国へ向かう途中上路山へ入りましたが、草木険しく道が進まず困り果てたところ、山中に灯りの漏れる
人家を見つけ一夜の宿を借り休息をとりました。その人家が山賊・八重桐の人家でした。
頼光と公時が寝静まると山賊の手下が襲いかかるも、後一歩のところで頼光に勘づかれてしまいます。
坂田公時は、まだ未熟であったため苦戦します。
最後の力を振り絞り、坂田時行の守り刀を
振りかざしますが、
八重桐に奪われてしまいます。
奪った八重桐が刀を振りかざすとき、
夫の刀であることに気づきました。
加勢にきた頼光は異変に気付き、
刀の素性を知っているのはなぜか?
過去に赤子と刀を託したのは其方か?
と尋ねました。託した人が八重桐と知り、
公時に八重桐が母であることを告げます。
託した人が頼光であり、
四天王の公時が自分の息子であり、
刃を向けた鬼が母であることを知り、
八重桐と公時は愕然とします。
最後のとどめ打たせぬこと、生き別れの母に巡りあえたことは、
今は亡き、坂田時行の親子再開の
守り刀の威徳であると頼光は讃えました。
その後、八重桐と坂田公時は都城下の町屋にて余生を過ごすという物語です。