令和7年度【第1回あさきた神楽公演】宮乃木神楽団神楽団


平成10年、広島県広島市安佐町飯室の野原八幡神社(のばらはちまんじんじゃ)を
御祭神として設立しました。
阿須那系八調子を源流とする、梶矢神楽団に師事を受けています。
「神楽とは何か?」を考え、儀式舞、儀礼舞、能舞の流れをふまえ、先人たちの
築き上げた心意気を学びたいと考えています。
今後とも芸を磨き、観る人の心に残る神楽を舞い、また足を運んでいただけるよう
日々精進していきたいと思います。


人皇十四代「仲哀天皇」帯中津彦命の治世の事、異国より日本を征服しようと、
数万騎という軍勢が攻め寄せてきました。
軍勢を率いる将軍の名は、「塵倫」といい、その背には、翼を持ち、中空を自在に
飛行する技を持っていました。
事を憂えた帝は、遂に自ら従者を率いて出陣します。
「一命惜しむなれば、この国を譲って、早々立ち去れ。」
とすごむ塵倫に対し、天津神の威徳をこうむり、神変不思議なる弓矢を以て立ち向かい、
激戦の末、これを討ちとります。
異国より 吹きくる風は、荒くとも 今吹き戻せ 伊勢の神々

日本武尊は、相模の国を平定して更に東の国へと進みます。
そして、走り水(東京湾の入口)から上総(かずさ・房総半島・千葉県)へ船で向かいました。
船が港を離れると波は次第に荒くなり、走り水の名の通り、潮は南北に激しく走るように流れ
ます。
これまでの戦いに討ち果たした者たちの怨霊がこの波(浦賀水道)の海底に集い日本武尊を
荒海へと引きずり込もうと襲いかかるかのようです。
底津王と霊怪士という恐ろしい海の鬼神は、日本武尊第一の宝物を犠牲(いけにえ)に
差し出させようとしたのです。
これを感じた弟橘姫は、武尊のこれからの活躍を祈り、自ら荒れ狂う海に身を投げたのです。
一瞬に海は青く静かになり、武尊は無事に上総の地を踏み、東の国へと向かったのです。