≪公演終了≫令和5年度【第二回公演】綾西神楽團

綾西神楽團は、土井八幡神社をご祭神として、1981年12月、安佐北区可部町綾ケ谷に

「綾西神楽同好会」として発足しました。

父祖累代親しみ続けてきた郷土芸能「神楽」の魅力にひかれ青年層の活動の一貫とし、

神楽を修得しております。

その後、地元や他地域の若者が加入して会員が増え、名称を「綾西神楽團」と改め、現在に至ります。

モットーは、礼節を重んじ礼に始まり礼を学び礼に終わりです。

更に神楽を楽しみ、観る人に感動を与える神楽團を目指し活動しております。

平安時代の月が美しい晩のこと。

都では平家の縁のある者の太刀が何者かに奪われるという事件が起こります。

それは比叡山の荒法師、武蔵坊弁慶の仕業でした。

弁慶は悪僧と呼ばれ悪行の限りを尽くしていたため、比叡山を追われ哀れの身となりました。

これも全ては驕る平家の御代のためと、いつしか平家を恨むようになります。

弁慶は五条天神にと千本の刀狩りの願を懸け、平家から太刀を奪い、平家に己の力を見せつけていました。

今宵も五条の大橋にて、平家の太刀を奪う。

この物語は、五条の大橋にて牛若丸と弁慶が運命の出会い果たす前の話であります。

この神楽は、愛媛県松山市に伝わる伝説の化け狸、隠神刑部が登場する『日本三大狸話』の一つ

『松山騒動八百八狸物語』を基に作った物語です。

隠神刑部(いぬがみぎょうぶ)は久万山(くまやま)の古い岩屋に住み、松山城を守護し続けていました。

伊予松山の狸の総大将であり、八百八匹(やおはちひき)の眷属を従えることから

「八百八狸」(やおはちり)とも呼ばれ、四国最強の神通力を持っていましたが、

松山隠岐守の代にお家騒動が起こり、隠神刑部は謀反側に利用され怪異を起こし謀反側に助太刀しました。

しかし松山藩方、稲生武太夫が宇佐八幡大菩薩から授かった神杖で隠神刑部を懲らしめた末、

八百八匹の眷属もろとも久万山に封じ込めました。

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