≪公演終了≫令和6年度【第九回あさきた神楽公演】あさひが丘神楽団


昭和62年に発足したあさひが丘神楽団は、「振興団地の中に郷土芸能を」とういう取り組みの
一環としてスタートしました。
古き伝統の旧舞、新しい時代の新舞を伝承し、神楽奉納を通して神楽に息づく思いを後世へと
伝えていけるよう、精進してまいります。

平安時代の終り、望まざる境遇により、悲運の帝となった崇徳上皇が決起し、摂関家、
平家、源氏、親子、兄弟、叔父甥、骨肉相食む大戦「保元の乱」が終結し、
平清盛は、破格の恩賞を被り、光り輝く日輪の道の入口へと立ちます。
かたや敵となったとはいえ、実の父親をその手に掛けて、親殺しの汚名を被ってまでも
忠勤を尽くした源義朝は、その処遇の軽さに憤りを禁じ得ず、不満をつのらせます。
その心の揺らぎを見逃さず、忍び寄る影がありました。中納言藤原信頼です。
「ご無念如何ばかりならんや、御身の心中察して余りある。
御身こそが、この日の本武門の棟梁ぞ・・・」
闇に飲み込まれた源義朝は、激しき潮流の如く一気に流れを加速させます。
平家が一門を上げて、熊野参詣に向かい、都が軍事空白となった隙を見逃さず、決起、
御所を制圧し、朝堂の全てを握る事に成功します。
しかし、熊野権現の加護を被り、熊野路を駆け上がる清盛は、計略を以て帝を救出し、
官軍の御旗を押し立て、源義朝達を追い詰めます。
形勢不利を知った信頼は、見苦しくうろたえ、その浅ましさに義朝は、信頼を見限り、
東国へと落ち延びます。
取り残された信頼は、捕らえられましたが見苦しく取り乱し、
取り押えられながら首を斬られたといいます。
清盛は、朝堂の乱れこそ、亡国の始まりであると考え、自らの一門と共に一枚岩とまとめ
強国とさしめんと心に祈念するのでありました。

神代の昔、天照、素戔嗚の契約の折り、剣より生まれしうちの一柱「田心姫(たごりひめ)」
は、父素戔嗚の荒き気性を受け継ぎ、高天原を追放され、記憶、言葉を失い、
出雲の地へと流れ着きました。
幾年がすぎました頃か、空に怪しき赤雲立ち上るにすべてを思い出した田心姫は、
出雲の大社の加護を被り、変事の元凶を尋ねます。
無量不変の風に吹き流され、異国より流れ着いた彦羽根は、陸地を定め、
我がものにせんと悪逆の限りを尽くします。
これを討ち田心姫は羅刹を従えし姫神・「十羅刹女(じゅうらせつにょ)」と名乗り、
庶民、仏法、幼子の守り神となります。