令和6年度【第五回あさきた神楽公演】飯室神楽団

当神楽団は土井泉(どいいずみ)神社を守護神として昭和57年発足。

山県舞(矢上系6調子)、高田舞(阿須那系8調子)の流派の異なる両舞を継承しております。

伝統ある郷土芸能を古き先人より学び「情感」ある神楽を目指し、我々の神楽が皆様方の

エネルギーとなればと願う所存でございます。

後継者育成に努め、地域に根ざし、人々の心の故郷となるよう団員一同努めてまいります。

何卒温かいご声援、ご指導賜りますよう宜しくお願い申し上げます。

源頼光が瘧病(おこりやまい)に掛かり、寝込んでいるところへ卜部季武、坂田金時がご機嫌

伺いに訪れます。

頼光は、侍女の胡蝶に典薬(てんやく)の守(かみ)に薬をとりに行かせており、もう帰る頃

だから安心して休むように命じて下がります。

やがて胡蝶が寝所を訪れ、典薬の守からもらって来たという薬湯を勧めます。

勧められるままに、頼光がその薬湯を飲むとさらに具合が悪くなり倒れてしまいました。

じつは胡蝶は葛城山に棲む土蜘蛛で、頼光に恨みを抱き、頼光を毒殺しようとしたのです。

深夜になり、胡蝶は頼光に病状を尋ねます、そして今がチャンスとばかりに胡蝶が土蜘蛛の本性

表し頼光に襲いかかります。

しかし頼光は、名刀膝切丸を振るって土蜘蛛に一太刀浴びせ

ると土蜘蛛はあっという間に逃げ

去ってしまいました。

この騒ぎを聞きつけた卜部季武、坂田金時は土蜘蛛の血痕を頼りに葛城山にたどり着き、

そこで土蜘蛛を見つけ激しい戦いの後についに土蜘蛛を退治します。

楠木正成は永仁2年(1294年)河内の国(今の大阪府千早赤阪村)で生まれました。

元弘元年(1331年)正成は後醍醐天皇のお召しにより鎌倉幕府打倒に立ち上がり幕府は滅亡

しました。

しかし、足利尊氏の反乱によって各地で再び戦闘が勃発します。正成は後醍醐天皇に命じられ、

足利尊氏の大軍を迎え討つべく兵庫へ向かいます・・・

その湊川の戦いは、正成にとって敗北は免れない決死の戦と覚悟して臨んだものでありました。

正成は桜井の駅で11歳の息子、正行に郷里に帰るよう申し付けますが、死を覚悟した父の

血相を前に正行は「どうかお供を」と哀願します。

正成は許さず、生きて帰って後醍醐天皇に忠誠を尽くせと諭します。

やがて正成は湊川で敗戦、弟・正季は「たとえこの生を終わらせても、人としてこの世に七回

生まれ変わって、かの敵を倒したい」と願い、兄弟は刺し違えて生を閉じました。

この演目は桜井の駅での一場面を神楽に取り入れたものであります。

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